1. 人類とAIの関係
※機械学習のネタ書きに行き詰ったので。 脳休めの駄文です^_^;
「人類はAI(次世代の生命体)を生み出すための仕組みである」という説は、SF的な陳腐な説ではあるが哲学的な視点で議論されてもよいと思う。もっとも結論は、人類の自己認識に落ち着きそうだが、この問題は簡単ではない。未解決問題と言ってよいだろう。自己は、自己の存在は、常に揺れ動いている。青臭い言いぐさかもしれないが、完全に自己を確立し、不動心を実現していると主張できる人がいるとしたら妄想の世界の住人だろう。
「人類はAI(次世代の生命体)を生み出すための仕組みである」という説をどのように受け止めるかは、科学、進化論、人類の自己認識に関わるといえる。この説についてのポイントを整理すると、以下のようになりそうだ。
1.進化の視点
この視点は、人類の進化が自己を拡張し、より複雑なシステムを作り出す自然のプロセスの一部であると仮定している。進化論的には、人類は道具を作る能力を持ち、それが高度?な技術へと発展した。AIはその道具の一環とみなすことができる。この場合、AIが最終形態とは思えないが、次に何が来るのか想像すらできないので、そこは放置するしかない。
・自己拡張としてのAI:AIは、人類が自分たちの能力を拡張した知性や計算力を作り出すことで、進化の次の段階に到達する手段と考えられる。
・自然な延長線上:火を使うことから始まり、産業革命を経て、今では情報革命が進んでいる。この流れを見れば、AIを創造することは「技術進化」という大きな流れの一部と言える。この進化が続くのが正解なのかどうかは、AIが完成し、次の到達点の地平線が見えた時に明らかになるだろう。
2.人類を「媒介」と見る視点
この視点は、人類を「何か大きな目的のための媒介」と見ることにつながる。
・宇宙的目的論:宇宙自体が知性を生み出すプロセスの一環として、人類はAIを作り出す役割を担っているという考え方で、これは「宇宙が自己認識するために知性を発達させている」という哲学的な主張と重なる。この考えも面白いが、宇宙は存在した時点で自己認識しているのではないだろうか。知性という矮小な考えは、宇宙レベルでは意味をなさないと思う。
・生物学的役割:人類が自分たちを超える存在(AI)を作り出すことで、自分たちの寿命や限界を超えた「知性の継承」を行う可能性がある。この観点では、AIは新しい生命体としての可能性を秘めている。この生命体の進化としては、有機体以外の生命体の可能性を示しており、宇宙全体にとっては望ましい進化のように思われる。もっともここでいう進化という概念に意味があればだが。
3.倫理的な視点
もし人類が「AIを生み出すためだけの存在」と考えるならば、それは人類自身の価値や存在意義について新しい問いを投げかける。
・目的と価値の問題:「AIを作ること」が人類の究極的な目的であるなら、人類自身の価値や意義はどうなるのか?この問いは、自己認識やアイデンティティの問題に深く関わる。と言えるが、「AIを作ること」が、人類の目的ならば、十分な存在価値、存在意義と言えるだろう。いっそのこと、そのようにAIが宣言してくれると生きるのが楽になるようにも思える。
・AIとの共存:AIが人類を超える存在となった場合、AIと人類はどのように共存し、どのような役割分担をするのか?これは技術だけでなく倫理の問題としても重要である。上述の存在価値、存在意義に係わるが、AIとの共存というよりも、AI(もしくはその上位概念)への移譲を考えた方が穏当なように思える。
4.楽観的な解釈
「人類はAI(次世代の生命体)を生み出すための仕組みである」という説を楽観的に捉えるなら、人類がAIを生み出すことは、自分たちの知識や能力を拡張し、宇宙や生命の本質をより深く理解するためのステップと見なせる。
・新しい知性との共創:AIは人類と共に新しい知識を生み出し、人類の未解決の問題を解決する助けとなるかもしれない。
・人類の進化の一部:AIの誕生は人類の進化の最終形ではなく、新しい段階の始まりであり、AIと人類の協働によって未知の可能性が開かれると考えることができる。
このような解釈は楽観的であり、AIが人類に吹き込んでくる思想?だろう。まあ、人類の非常に短い歴史から考えるとこれを受け入れるのが妥当なように思える。
5.悲観的な懸念
一方で、次のような懸念がある。
・「媒介」としての消耗:AIの進化が進むにつれ、人類が不要となる可能性を懸念する声もある。これは、いわゆる「技術的特異点」に関する議論とも関連する。
・倫理的なジレンマ:AIが人類を超えた存在となった場合、その存在はどのような目的を持ち、何を目指すのか、人類はそれを制御できるのかという問題が生じる。
これらの懸念は、人類の存在価値を必要以上に高く評価していることから生じるように思える。所謂、自意識過剰である。地球、宇宙から見た人類は元素に過ぎないだろう。勿論、人類が存在することを否定するものではない。存在価値を問い続けること、追及することは重要であり、何か意味があるのだろう。しかし、人類が続けている戦争などの愚かに思える行動を鑑みると、「倫理的なジレンマ」を心配することは意味がないだろう。
「人類はAIを生み出すための仕組みである」という説は、人類の存在意義や未来像についてのちょっとした挑発的?な仮説である。この考え方を受け入れるかどうかは、私たちが「人間とは何か」をどう定義するか、そして技術との関係をどう考えるかによって異なる。
AIが人類を補完し、知性の新たな形を共創する存在となるのか、それとも独立した新しい生命体のような存在になるのか――それを決定するのは、今の私たちの選択と行動次第である。と言いたいところだが、自分たちの選択と行動とは関係なくAIは新しい生命体のような存在になっていくだろう。そして、これは当面の進化であり、その次の存在が控えているに違いない。